祇園寺 ぎおんじ  茨城県水戸市八幡町11-69  曹洞宗。  寿昌山祇園寺。









水戸戊辰殉難慰霊碑  慰霊碑の築造は室田義文等による。[篆額]恩光無邊 [碑文]明治戊辰悲徳川宗家之哀廢慷慨赴難者水戸藩士中不下數百人而・・・[由来碑]徳川光圀は、1657年「大日本史」の編纂に着手。第6代藩主保治の時、藩財政面から編纂継続の是非を、彰考館内部では、立原総裁派と藤田幽谷派が対立。1906年4部 397巻が完成。第9代藩主徳川斉昭、藤田幽谷、東湖、会沢正志斎らの後期水戸学は、内圧と外圧の問題を受け止める。尊王の思想に攘夷論を附加し、独特の学風にした。攘夷論をめぐる学問上、政治上の抗争と、朝廷より水戸藩に下賜された戊午の密勅の取扱いや薩長との密約により対立。藩論がわかれ、水戸藩朋党(天狗・諸生党)の乱を生む。両派とも尊王敬幕の思想では一致していた。乱の被害は、栃木、千葉県迄及びさらに水戸藩士のほか婦女子、農民などまでまきこむ。1884年諸生党の有志が、水戸市神應寺に記念碑、篆額は会津藩主・松平容保の書、を建立したが戦災で破損。

水戸出身洋画家 中村彝 なかむらつね の墓