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  寺と神社
勝常寺 しょうじょうじ  2010/05/03他  福島県河沼郡湯川村勝常代舞1764   瑠璃光山密蔵院勝常寺   真言宗豊山派  本尊 薬師如来。冬の会津 勝常寺近くから会津嶺 磐梯山 (いちばん白い山)をみる。

仁王門 ・・・・春 桜は満開状態。

仁王門





薬師堂










薬師如来  (福島県立博物館の複製展示物より)







徳一上人 (福島県立博物館の複製展示物より)

収蔵庫  収蔵庫は鉄筋コンクリート造りの建物。内部は杉材の部屋に仏像が安置されている。国宝の日光菩薩立像・月光菩薩立像。国重文の十一面観音菩薩立像・地蔵菩薩立像・聖観音菩薩立像・雨乞い地蔵と延命地蔵・天部立像・四天王像。仏像の美しさに圧倒される。素晴らしい空間である。日光菩薩立像・月光菩薩立像は、正面から見るとスリムに見える。横から見ると結構なボリュームで重厚である。

薬師三尊 左より 月光菩薩    薬師如来   日光菩薩  (お寺の近くにある、湯川「たから館」に展示されていた西陣織。。西陣美術織工房殿寄贈 )

月光菩薩   勝常寺収蔵庫の本物は、横から見るとかなりのボリュームがある。

薬師如来

日光菩薩

本堂への参道

本堂  不動明王が安置されているらしい。

土井晩翠ウォーナー碑  太平洋戦争中、米軍の爆撃から、勝常寺を守ったウォーナー博士の記念碑がある。 記念碑の詩は土井晩翠による。「一千余年閲(けみ)したる  仏像の数十三を  伝へ来りし勝常寺  尊き国の宝なり  秋のけしきの深みゆく  会津郊外勝常寺 仏縁ありて詣できて  十三像を拝みぬ

創建年807年  開基 伝・徳一 。別称 会津中央薬師堂。 伝説によると、磐梯山はその昔、病悩山と呼ばれた。魔物が棲み、色々な災いを及ぼしていた。そのため会津の地は一年中霧に閉ざされていた。作物は実らず、病気になる人が大勢出て、苦しんでいた。これが、平城天皇の耳に入り、弘法大師が会津に遣わされた。弘法大師は、法力により、魔物を退治した。会津の人々が平和に暮らせるよう、薬師像を五体つくり、東西南北と中央にまつることにした。急に、都に戻ることが必要になり、弘法大師は後を徳一上人に頼んだ。徳一上人は弘法大師の指示通り五体の薬師様をつくった。勝常寺は、中央の薬師さまをまつるお寺になる。金堂、塔、講堂、鐘楼、経蔵、僧坊、食堂など、七堂伽藍が建ち並んでいた。勝常寺は、大勢の人が集まる勉強をする場所だった。平安初期造立といわれる国宝・国重文の仏像が多数ある。薬師如来坐像、日光菩薩立像、月光菩薩立像は国宝。薬師如来坐像は薬師堂にある。日光菩薩立像、月光菩薩立像は収蔵庫にある。全国でも、一箇所にこのように平安仏像が並んでいるのは少ないのではないだろうか。どの仏像も大変立派に見える。素晴らしい。薬師如来坐像は、重厚でとてもよい。日光菩薩立像は、大変に美しい。なぜ会津盆地の田舎に、このような仏像があるのか、不思議だ。1,000年以上も会津盆地の真ん中で、無事によく残ったものだ。会津盆地は、争いが少なく、豊な国だったのかもしれない。伊達政宗が攻めてきたとき、戊辰戦争のとき・・・よく焼失せずに残ってくれました。住職さんの話では、伊達家の侍が攻めてきて、徳一上人の像に刀で切りつけた。徳一上人の顔がこわくて、薬師様に危害を加えず立ち去った・・・と言われてたような気がします。薬師堂は足利時代の建物。中に厨子があり薬師如来坐像と十二神将立像12躯がある。国宝  薬師如来坐像 1躯  約138cm日光菩薩立像 1躯  約170cm。月光菩薩立像 1躯  約170cm国指定重要文化財 薬師堂(元講堂) 1棟  十一面観音菩薩立像 1躯  地蔵菩薩立像 1躯  聖観音菩薩立像 1躯  四天王立像 4躯  地蔵菩薩立像(雨降り地蔵) 1躯  天部像立像(伝虚空蔵菩薩) 1躯  村指定文化財  徳一菩薩坐像 1躯  絹本着色両界曼荼羅図 2幅  絹本着色真言八祖像掛軸 8幅  絹本着色十二天画像掛軸 12幅  不動明王立像 1躯  十二神将立像 12躯

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